茶室和楽庵の歴史

和楽庵は、かつて京都・龍安寺より岐阜に移築された、名席を由来とする茶室でございます。この名席は、遡ること平安末期に、後徳大寺左大臣が「ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる(百人一首)」と詠んだ庵と伝わることから「ほととぎすの席」と呼ばれていたものです。

ところが不運にも、明治24年の濃尾大震災の際に焼失。岐阜政財界の重鎮であった加藤與三郎翁が名席を惜しむ声に応えて、奈良の古寺の古材等を集め翌年復刻し、「和楽庵」と名付けました。これは金森宗和の和と織田有楽斎の楽に因んだものです。明治から大正にかけて和楽庵には、井上馨候をはじめ名だたる数寄者の来訪が絶えなかったと云います。

和楽庵は加藤翁没後も関係者の努力により地域の歴史的遺産として維持保存されてまいりましたが、縁あって、潜龍先代店主がその任を引受け、此処に移築し今日に至っております。
なお、和楽庵再建の折加藤翁が蒐集した古材のうち次の物が現存しており、一部は劣化防止のため別途保管しております。

  • 「鎌倉時代(1192~1333)の作と伝えられる雲龍の透彫」
  • 「西行法師(1118~1190)の文反故と伝えられる壁の腰張」
  • 「江月宗玩和尚(1574~1643)の書と伝えられる扁額」

和楽庵の見学をご希望の方は、事前にご連絡下さい。

岐阜市長良鵜飼屋14 潜龍内
TEL.(058)231-1151